東京高等裁判所 平成元年(う)471号 判決 1990年9月12日
本籍
浦和市太田窪二丁目八二四番地
住居
同市岸町一丁目一番一六号
建売・不動産業
草野謙治
昭和一一年一〇月五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成元年三月一四日浦和地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官樋田誠出席の上審理をし、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人丸山利明、同赤松幸夫、同山田宰連名の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官樋田誠名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当であるから、これを破棄した上、被告人に対して是非懲役刑の執行を猶予されたい、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討すると、本件は、浦和市内で建売・不動産業を営んでいた被告人が、自己の所得税を免れようと企て、ダミー法人を利用して土地売買価格を圧縮するなどして売上げの一部を除外し、マンションの賃貸料収入を除外するなどの方法によって、所得の一部を秘匿した上、昭和六一年分の実際所得金額が五億二五八八万一四八五円であったのに、所轄税務署長に対して、その所得金額が二八九〇万六五二〇円で、これに対する所得税額が一四六一万六二〇〇円である旨虚偽の確定申告書を提出して、納期限を徒過させ、もって不正の行為により三億六四〇九万七四〇〇円の所得税を免れた、という事案である。右にみるとおり、逋脱税額が巨額に達している上、逋脱率も約九六・一四パーセントと極めて高率であって、被告人の納税意識は甚だ希薄であるといわざるを得ず、ダミー法人の利用による土地売買価格の圧縮など手口が計画的で巧妙であることや金融機関に対する借金返済の資金蓄積のためなどという犯行の動機には斟酌すべきものが乏しいこと等を併せ考えると、犯情は全体として悪質であり、被告人の刑責は、到底軽視することができない。
所論は、本件脱税の大部分は、被告人が浦和市所在の土地(以下、「本件土地」という。)を株式会社浅沼組(以下、「浅沼組」という。)に売却するに際し、株式会社コサカ(以下、「コサカ」という。)をダミー法人として利用して、右土地売上げの一部を除外したことによるものとされているところ、(1)被告人とコサカの関係や本件取引の実態を直視すれば、コサカは必ずしもダミー法人とは断定できない上、(2)被告人は、少なくとも主観的には、コサカを本件土地取引に介在させることが所得税法に違反するものではないと信じていたのであり、そのことには酌むべき事情が存在したのであるから、本件の犯情は決して悪質ではない、というのである。
しかし、記録を調査して検討しても、右(1)、(2)の所論はいずれもその理由がないものというべきである。
すなわち、
(1)まず、客観的な本件取引の実体につき検討すると、関係証拠によれば、被告人は、かねてから自己が所有する本件土地の上にマンションを建設してこれを分譲することを計画していたが、適当な提携先がなく、借金の返済に迫られていたことなどのため、結局、昭和六〇年二月ころには、本件土地を浅沼組に売却することとしたものであり、その価格や代金授受の時期、方法、本件土地の引渡時期、方法等は、すべて被告人と浅沼組との間で取り決められ、右代金は全額浅沼組から被告人に直接支払われているにもかかわらず、この取引にコサカを介在させ、本件土地を被告人から昭和六一年三月一〇日付で一旦コサカに売却した上、同年六月四日付でコサカから浅沼組に売却し、この代金をもってコサカの被告人に対する債務の返済に当てるという形式をとることにより、自己の所得金額を圧縮することを企て、浅沼組にその旨強く申し入れ、その承諾を得てこれを実行したものであり、代表者の小坂龍夫その他コサカの関係者に対しては、そのような形式をとることに決めた旨を一方的に告げた上、コサカ名義の売買契約書や領収書等の作成に協力させると共に、これに対応する法人税の申告等を履行させたものであることが認められるのであって、被告人がコサカをいわゆるダミーとして利用した事実は明らかである。
所論は、コサカがダミー法人とは断定できない理由を縷々指摘するけれども、<1>コサカが被告人と無関係に設立された企業であり、脱税利用目的の法人でないことは所論のとおりとはいえ、コサカは、昭和六〇年以降、ほとんど営業活動を休止していて、被告人や被告人を代表者とする株式会社草野工務店等に対して多額の債務を負い、その返済が極めて困難な状態にあったことなどから、本件当時、コサカを実質的に支配していたのは大口債権者である被告人であったと認められるし、<2>コサカは、当初、被告人の前記マンション建設、分譲の計画に参加することを希望し、その提携先として浅沼組を被告人に照会するなどの役割を果たしたことが窺われるが、右計画が浅沼組への売却に変更されたのちは、この取引に何ら関与していなかったものであり、<3>なるほど、コサカが被告人に対し本件土地の代金(五億四八三二万三一八〇円)を支払い、一方、浅沼組から本件土地の代金(一〇億四七七三万九七〇〇円)を受領して、その中から約五億円(四億六七八二万二三五九円)を債務の返済として被告人に支払った旨の形式がとられているものの、実際には前記のとおり本件土地の代金は浅沼組から被告人に直接支払われている上、被告人はもとより小坂龍夫らコサカの関係者においても、コサカの被告人に対する債務は土地代金によって弁済された訳ではなく、依然残存しているものと考えていたことが認められ、<4>コサカの側において、本件土地を被告人から購入して浅沼組に売却したことにより利益を得た旨本件土地取引の形式に符合する納税申告をしている点や本件土地取引を仲介した島田らに対する仲介料を負担している点も、被告人がコサカをダミー法人として利用し、小坂龍夫らがこれに協力して形式を整えたものである以上当然のことであって、その他所論指摘の諸点を検討しても、コサカのダミー法人性を否定するに足りない(なお所論は、被告人及び小坂龍夫らコサカ関係者の査察官や検察官に対する供述調書等は、脅迫や利益誘導によるもので任意性も信用性もない旨主張するが、被告人らの供述調書の任意性に影響を及ぼすような取調べ状況は認められない上、各供述調書の核心的部分は、互いに照応していて矛盾する点がないだけでなく、契約書、協定書等の物的証拠と整合し、浅沼組関係者の供述とも符合しているのであって、全体として十分に措信できるものと認められる。)。
(2)次に、被告人の主観的意図について考察すると、関係証拠によれば、被告人は、本件土地を浅沼組に売却するに当たり、その譲渡益を圧縮するための方策について大野友次税理士らと相談したことが認められ、その際、同税理士らから、<1>本件土地取引につき、中間に被告人が代表者となっている草栄産業株式会社を介在させると、同族会社の行為否認に抵触する(所得税法一五七条)、<2>コサカを介在させた場合には同族会社の問題は起こらないが、譲渡価格が著しく低額、すなわち時価の二分の一未満であるときは、時価による譲渡がなされたものとみなされる(同法五九条一項二号、同法施行令一六九条)、また、<3>現実に金銭の授受がなされないような場合には、実質課税の原則により、その収益は実際にこれを享受する者に帰属するものとみなされる(同法一二条)などの諸点につき説明を受けたことが窺われる(右の限度においては、税法の説明として正確であり、税務署の職員に問い合わせても、同様の回答を得られることは当然である。)。以上によれば、所論のように、同税理士らが、更に進んでコサカを介在させた本件の具体的取引方法についてまで税法上許されたものであると明言したか否かはさて措くとしても、少なくとも被告人としては、同税理士らの説明を通じ、右のような税法の条文や原則に抵触しない形式を整えさえすれば、税務当局の追求を免れることができるものと理解したであろうことは容易に推認できる。これに反し、本件取引は違法であるから中止するよう勧告した旨の大野友次、上田浩一郎らの収税官吏又は検察官に対する供述は、上田浩一郎作成の所論「五月メモ」の記載内容に照らし、たやすく信用することができない。しかしながら、被告人がそのような税法の理解の下に本件犯行を実行したとしても、コサカを介在させた本件土地取引が、被告人の実所得を秘匿して納付すべき所得税を軽減する意図に基づくものであり、被告人からコサカへの売却とコサカから浅沼組への売却という形式に対応する実体がないこと、すなはち、前記実質課税の原則に抵触するものであることは、被告人自身が一番よく認識していたと認められる以上、被告人に脱税の犯意や違法性の意識がなく、そのことに相当の理由があるなどといえないことは勿論、税理士らの説明による誤信の点を被告人のために酌むべき特別な情状(とりわけ、被告人に対して懲役刑の執行を猶予すべきか否かを判断する際の重要な情状)とみることも相当とはいえない。
結局、所論は、すべて理由がない。
してみると、本件が一年限りの脱税であること、被告人は、事犯の発覚後、自己の非を認めて修正申告した上、借金等によって逋脱した本税だけでなく、延滞税、重加算税の納付をも完了していること、本件犯行については、担当税理士の指導、助言にも問題がなかったとはいえないところ、この税理士の更迭など再犯防止のための措置がとられていること、被告人には業務上過失傷害罪による罰金前科二犯のほかに前科がないこと、その他被告人の服役が経営する企業や下請け等の関係者や被告人の家族らに及ぼす影響等所論指摘の首肯できる諸点を十分に考慮しても、本件が懲役刑の執行を猶予すべき事案とは認められず、被告人を懲役一年二月及び罰金八〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、まことにやむを得ないところであって、これが重過ぎて不当であるとまではいえない。論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 裁判官 新田誠志)
平成元年(う)第四七一号
○ 控訴趣意書
被告人 草野謙治
右の者に対する所得法違反被告事件について、弁護人は、次のとおり控訴理由をのべる。
平成元年六月三〇日
右弁護人 丸山利明
同 赤松幸夫
同 山田宰
東京高等裁判所第一刑事部 御中
記
原判決は、罪となるべき事実として公訴事実と同旨の事実を認定し、検察官の「懲役二年及び罰金一億円」の求刑に対し、「被告人を懲役一年二月及び罰金八千万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。」旨の判決を言い渡したが、被告人を実刑に処した同判決の量刑は以下に述べるとおり、著しく重きに過ぎて不当であり、到底破棄を免れないものと思料する。
第一 本件脱税の手段は、悪質なものではなく、むしろ構成要件該当性を認める上での限界事例ともいうべき極めて違法性の低いものであった。
本件における所得ほ税のための主な手段は、土地売買価格の圧縮による売上除外とマンションの賃貸料収入の除外の二つであるが、ほ税所得の額が合計四億九、六九七万四、九六五円であるの対し、マンションの賃貸料収入の除外額は二九六万八、一三三円に過ぎず、その余はいずれも土地売買価格の圧縮による売上除外(以下「本件土地売上除外」という)あるいはそれと関連した行為によってほ税したものである。
従って、本件脱税が悪質なものであるか否かは、結局、本件土地売上除外の手段の悪質性の如何にかかっているものであるところ、原判決は同売上除外について、実際には土地(以下「本件土地」という)を被告人から株式会社浅沼組(以下「浅沼組」という)に直接売却し、同会社の支払った土地代は全額が被告人の売上であるにもかかわらず、同土地を被告人から、赤字会社であり、かつ、被告人並びにその関連会社(以下「被告人等」という)から多額の債務を負った株式会社コサカ(以下「コサカ」)に売却し、その後さらに同会社から浅沼組に売却したかのように仮装した上、計算上コサカに生じた売買差益を被告人のもとに移すについては同会社の被告人等に対する債務の返済であるかのように仮装して、被告人と浅沼組間の実際の土地売買価格を圧縮し、その分の所得を秘匿したとし、コサカをいわゆるダミー法人として利用した脱税事犯と認定しているのである。
ところで、これまでの判例において、土地譲渡による所得をダミー法人の利用によってほ税したものと認定されている事案を見ると、同所得をほ税したとされた者自らが脱税利用の目的で当該法人を設立していたこと、当該法人がいわゆるペーパーカンパニーで設立当初から終始事業を行った形跡がなかったこと、当該法人の代表者等その関係者において当該法人が当該土地取引の当事者になることを了解あるいは認識していなかったこと、当該法人には当該土地取引による利益が全く帰属していないこと等の事実がその前提事情として挙げられている。
そこで、本件において原判決がダミー法人と認定したコサカについて見ると、同会社は本件の約七年前に被告人と何ら関係無く設立されたもので、その後、実際に土木建設機械のリース、販売等の事業を行ってきた会社であり、かつ、本件当時も、休止に近い状態にあったとは言え、ある程度の事業活動もあり、資金の動きもあった上、税務申告も行っていたものであること、コサカが本件土地取引の当事者となるについては同会社の代表者小坂竜夫もこれを了解していたこと、本件当時、コサカは被告人等に対して実際に約五億円の債務を負っていたこと、さらには本件におけるコサカから被告人等への資金の流れについてはコサカ・被告人等双方における経理処理の内容等から見て債務の返済であって、本件土地取引による利益はコサカに帰属したと見得る余地もあること等の事実(以上の各事実については控訴審において立証予定)が存し、従って、本件においては被告人に実質的な所得がなかったとも言えなくはないのであって、結局、本件土地取引におけるコサカについては、あらゆる面でダミー法人と明確に認定し得るようなものではなく、むしろ実際の売買当事者と認定することも可能なものであったのであり、その意味で本件は、通常のダミー法人利用による脱税とその性質を異にし、また、積極的事実あるいは消極的事実を捏造する架空経費の計上や一般的な売上除外とも異なっていることをも勘案すれば、本件は極めて違法性の低い事案であると言わなければならない。
第二 本件において、被告人は、前記のとおりコサカを間に入れた本件土地の取引は売上除外に当たらず所得税法に違反しないものと信じていたものである上、そのように信じてもやむを得ない事情も存したものであって、本件は、犯意及び違法性の意識に希薄な、犯情において悪質性の欠けた事案である。
被告人は、本件土地取引にコサカを介在させるに当たり、そのような方法が売上除外とされて所得税法に違反することになるのを危惧し、あらかじめ当時の被告人等の顧問税理士大野友次並びにその事務員である上田浩一郎らにその点を質し、また、同人らから税務署に確認することを依頼したところ、同人らから、「売上除外に当たらず所得税法に違反しない。そのことは税務署にも確認した」旨の回答が得られたため、その回答を信じて本件のとおりの土地取引を実行したもの(以上の経過は控訴審において立証予定)であって、税法について十分な知識をもたない被告人が、専門家たる税理士さらには税務署の見解としてコサカの介在が合法であることを告げられ、そのとおりに信じて本件を実行したとしてやむを得ないことであり、被告人の脱税の犯意及び違法性の意識が極めて希薄となっていたのは明白であって、本件は、犯情においておよそ悪質性の欠けた、むしろ同情すべき事案と言わなければならない。
第三 本件動機はまことに同情すべきものであって、十分に酌量されるべきである。
被告人が本件を実行するについては、コサカの代表者である前記小坂が高利金融業者等からの借金返済に窮していることに同情し被告人等から資金を貸付けたことをきっかけとして次々にコサカに資金を貸付け、あるいはその保証債務を負担せざるを得なくなり、結局、被告人等はいわば右小坂に喰い物にされた結果、本件当時のコサカに対する貸付けは約五億円もの金額に達しており、そのままでは被告人等の事業の資金繰りに多大の影響を及ぼしかねない状況に立ち至っていたことから(以上の事実は控訴審において立証予定)、貸付金の返済を受けるためと、コサカの救済を企図して本件に至ったものであって、本件は、他の事犯に見られるような余裕資金の蓄積を目的にした脱税事案と異なり、動機においてまことに同情すべきものがあるのであって、この点も被告人の量刑に当たっては十分に酌量されるべきものである。
第四 被告人の本件に関する反省の情は極めて顕著である。
被告人は、本件実態が前記のとおりであり、また、動機等において種々の事情があるにもかかわらず、非は非として、本件起訴の前に国税局の指摘どおりに速やかに修正申告をなし、本税を納付した上、その後、原審の公判段階で重加算税、延滞税をすべて納付している。
脱税によって国税局の調査を受け、検察庁に告発された者が、修正申告に応じ、本税等を納付する例は必ずしも稀ではないが、その多くの場合は、脱税によっていわゆる裏資金が蓄積されており、そういういわば余裕資金を吐き出して本税等を納付するのが普通であるところ、被告人の場合は、前記のとおりの事情により、ほ脱所得はすべて、コサカの対する貸付けの反面として被告人等が銀行等から借り入れざるを得なかった債務の返済に回されており、同所得の蓄積がないため、本税等の納付に当てる資金をすべて銀行等の金融機関からの新たな借り入れによって賄ったもの(控訴審において立証予定)であって、その事実は被告人の反省が極めて顕著であることの現れであり、十分に配慮されるべきである。
第五 被告人には再犯のおそれがない。
本件の態様は前記のとおりであって、恒常的に脱税を重ねていた者がその末に摘発されたのとは異なり、本件は、一回性のいわば極めて偶発的犯行である上、被告人の反省が極めて顕著であることをも考え併せると、被告人については再犯のおそれがなく、個別刑政の観点から見ても、被告人を実刑に処する必要性はないものである。
第六 被告人を実刑に処した場合には、その周囲に多大の悪影響を及ぼさざるを得ない。
被告人は、現在、個人で建売・不動産業を営んでいるほか、同業の株式会社草野工務店、土木建築機械リース、販売等を業務とする草栄産業株式会社の各経営に当たっており、それらの関係で雇用している従業員は約三〇名で、下請業者も一八社に及んでいるところ、それら各事業については、被告人が資金繰り、営業等の顧客関係、現場管理等の技術面などその業務全般を切り回しており、もし被告人が実刑に処せられた場合には、それら各事業が行き詰まり、従業員、下請業者の関係者の生活に多大の影響を及ぼすことは必至であり(以上の各事実は控訴審の立証予定)、そのような結果は本件の実態にかんがみると余りにも苛酷と言わなければならない。
以上の理由により、原判決の量刑は著しく重きに過ぎて不当であり、到底破棄を免れないと思料するので、控訴の申立に及んだ次第である。
おって、本件控訴理由の詳細については、貴裁判所の指定した提出期限までに提出する補充書によって補充する予定であるので、同補充書についても貴裁判所の判断を求めるものである。
平成元年う第四七一号
○ 控訴趣意補充書
被告人 草野謙治
右の者に対する所得税法違反被告事件について、弁護人は、次のとおり控訴理由を補充する。
平成元年九月一二日
右弁護人 丸山利明
同 赤松幸夫
同 山田宰
東京高等裁判所第一刑事部 御中
記
第一 本件の経緯等
一 被告人は、先に大阪において建築請負業を営んでいたが、昭和四二年(以下「昭和」を省略する)ころに上京し、浦和市内で個人で建築請負業を営むようになり、五五年には株式会社草野工務店(以下「工務店」という)を設立して、以後、個人と工務店の双方で建築請負業のほか建売、マンション建築販売業等の不動産業を営んで今日に至ったが、その間の四二年ころに小坂竜夫(以下「小坂」という)に貸家を仲介したことから同人と知り合い、さらに四七年ころに同人の住居を新築したことをきっかけとして同人と親しくするようになった。
その後、小坂は、五一年六月、株式会社コサカ(以下「コサカ」という)を設立し、大宮市内で土木建設機械のリース、販売業を営むようになったが、五五年ころから資金繰りが悪化して、いわゆる町金融から資金を借り入れるようになり、そのためさらに資金繰りが悪化したため、五六年ころから、被告人から直接資金を借り入れるばかりではなく、同人に工務店振出しの手形の融通を依頼して、同手形を町金融で割り引くようになり、さらには被告人の保証で町金融から融資を受けるようになった。
被告人は、当初、小坂に対する好意から同人の依頼を引き受け、右のとおり、コサカの資金繰りを援助するようになったが、その結果、コサカの資金繰りは専ら被告人の信用供与によって支えられている状態となり、その反面として、被告人において途中から信用供与を拒めば、コサカが倒産してしまい、同社からの右信用供与に伴う貸付金の回収が不能となるので、右信用供与を拒むことができないという悪循環に陥って、被告人個人並びに工務店のコサカに対する右信用供与の結果としての貸付自体が増加の一途をたどった。
以上のとおり、被告人は、コサカの資金繰りを支え続け、さらに五七年には、それまでの社屋を引き払い、人員も減らすなどして、同社の規模を縮小し、その立て直しを図ろうとする小坂に協力し、被告人個人並びに工務店の事務所として使用している草野ビルの一部をコサカの事務所として提供したが、同社の業績は改善されず、五八年には、同社並びにその経営者である小坂自身の信用の低下により、同社の事業の立て直しが困難となった。
そこで、小坂は、被告人の信用でコサカと同種の事業を継続することを考え、被告人に対し、同人がコサカとは別の新会社を設立した上その代表取締役に就任し、一方、資金面を除く実際の業務は小坂と穐山直治(コサカの従業員という立場ながら、資金関係及び経理等を担当し、実質的には同社の共同経営者的立場にあったもの・以下「穐山」という)が担当するというやり方、つまり小坂が被告人の信用を利用してコサカと同様の事業を新会社で継続する方法を講じてくれるよう依頼した。
それに対し、被告人は、当時、前記のとおりの経過で累積したコサカに対する貸付金が被告人個人と工務店の合計で約三億一〇〇〇万円(五八年五月末現在)に上っている上、そのままでは右貸付金を回収できないことから、小坂の右依頼に応じることとし、五八年六月二五日に資本金一〇〇〇万円で草野ビルの所在地を本店とする草栄産業株式会社(以下「草栄」という)を設立して自ら代表取締役に就任し、小坂、穐山らをして、草野ビル二階を事務所とした土木建設機械のリース、販売業を継続させた。
なお、小坂は、新会社を設立したとはいえ、依然としてコサカを貸主とする土木建設機械のリース契約が存続しており、従来の債権、債務も残存していることもあって、草栄設立後もコサカの事業を継続して営んでおり、草栄で利益を上げてコサカの被告人個人並びに工務店に対する債務を返済した後は、自己の会社であるコサカの事業を再度軌道に乗せたいという考えから、コサカの組織、態勢もそのままとしてその継続運営に努力した(以上、第一審公判記録中の小坂の六二年一二月八日付、六三年八月三一日付各質問顛末書、六三年一〇月二四日付検面調書、穐山の六三年三月一八日付質問顛末書、被告人の六三年八月一〇日付、同年九月一日付、同年九月二一日付各質問顛末書、六三年一〇月一九日付検面調書等・さらに控訴審において立証予定)。
二 一方、被告人は、五三年ころ、事業用不動産として、浦和市松本所在の土地(本件においていわゆるダミーを介し株式会社浅沼組《以下「浅沼」という》に譲渡したとされている土地。以下「本件土地」という)を取得したが、その後、その地価が上昇したため、同土地を単純に他に転売したのでは多額の税金がかかることから、五六年ころには建売住宅の事業用地にすることを考え、次いで、五七年ころからは折からのマンションブームに対応して同土地を敷地としたマンション事業を営むことを計画した。
そこで、被告人は、右マンション事業を進めるために、その建築を発注する建設業者やマンション完成後の販売を委託する不動産販売業者を探すこととしたが、同事業を単独で行うのでは資金負担が重すぎることから、それら各業者との共同事業にすることを企図し、小坂が土木建築機械のリース、販売事業を行っている関係で、右各業者に顔が広いものと思われたため、被告人は、小坂に、適当な業者を探すように依頼した。
それに対し、小坂は、不動産業界の常識として、不動産事業の遂行に手を貸し、その結果として同事業が実現すれば、仲介料や手数料の名目で何らかの見返りが得られるのが通常であることから、その見返りを期待して、その話を、昭和工芸の名前で印刷業を営む傍ら不動産ブローカーもしていた島田につなぎ、さらにその話が不動産仲介業者の富澤省士を介していわゆるゼネコンの浅沼北関東営業所の森喜一郎(以下「森」という)らに伝わって、結局、五九年三月ころ、小坂は右各関係者を被告人に紹介した。以上の経過により、その後、被告人は、森ら浅沼の担当者に対し、マンションの建築工事を浅沼に発注することを条件に、右マンション事業の共同事業者になってくれる不動産販売業者の選定を依頼した(以上は、控訴審において立証予定)。
三 以上のとおり、被告人は、本件土地を利用してマンション事業を行うことを企図していたが、同事業を実現するについては近隣との交渉等の面倒な手続きを経なければならないことを憂慮し、一方では、税法に違反しない範囲内で節税を図る方法があれば本件土地を売却してもよいとも考えた。
コサカについては、草栄設立前に割引きに出した手形の決済や借入金の返済、さらには草栄設立後もリース等の事業を継続したり従業員の雇用を継続していることによる費用等に資金が必要であったため、それらの資金も被告人が草栄を経由してコサカに貸付けざるを得なかったことから、被告人個人、工務店及び草栄からコサカに対する貸付(以下「被告人関係貸付」という)はさらに増加を続け、五九年五月現在で合計約三億三〇〇〇万円(同金額は国税局の調査によるもので、コサカ側の経理上では四億八〇〇〇万円であり、当時、被告人はその金額を約五億円と認識していた)に上っていた。
一方、被告人個人と工務店の各経理並びに各税申告については、その一〇年以上前から、大野友次税理士事務所に依頼し、五九年当時は、同事務所員の上田浩一郎(以下「上田」という)が月に二回程度草野ビルを訪れ、伝票類の整理や試算表作成の指導などに当たり、大野友次税理士(以下「大野税理士」という)も月に数回は同ビルを訪れて、被告人の相談に乗る状態であったところ、被告人は、上田から被告人関係貸付について「これをどのようにして回収するのか。これだけの貸付をいつまでもこのままにしておくのはおかしい」などと指摘され、同人との間で被告人関係貸付の処理について相談を重ね、一時は貸し倒れ処理の検討も行ったが、上田から、「貸し倒れとする処理は、税務署の承認を得るのが容易ではなく、また、償却までに長期間を要するので、適当ではない」と指摘された。
そこで、被告人は、折から、本件土地を事業用地として利用する計画が進行中であり、ついてはマンション事業の実現を図る一方で、税法に違反しない範囲内で節税を図る方法があれば本件土地を他に売却することも考慮していたことから、この機会に、いずれも赤字会社であるコサカや草栄を、何らかの方法により、売買を含む本件土地の事業化等に関与させて、これら会社に利益を発生させ、同利益によって被告人関係貸付の返済をさせることを思いついたが、そのための方法が、節税の範囲を越えて税法に違反し、脱税になるようなことがあってはいけないと危惧したため、上田並びに大野税理士にその点の検討方を依頼した。
その結果、上田は、五九年五月一五日付、同年一〇月四日付の各メモを作成し、いずれもそのころ、被告人に対し右各メモを示した上、「被告人は草栄の大株主なので、本件土地を草栄を通して他に売却するのは問題だが、コサカについてはそのような関係がないので、本件土地を贈与とみなされないように時価の二分の一を割らない範囲内の低価格で被告人からコサカに売却した上、コサカから浅沼に時価で売却し、その結果、コサカに生じた差益で被告人関係貸付の返済を受ける方法(以下「本件取引方法」という)を取っても、脱税にはならない。税務署にも聞いたが、税務署でもそのように言っている」旨を説明し、大野税理士も同様の見解を示したが、被告人は、さらに慎重を期する意味と五八年ころに被告人が建売住宅を売った関係で所轄の浦和税務署長と面識があったこともあって、大野税理士に対し、「税務署長にも聞いてもらいたい」旨を依頼した。
その後間もまなくして、大野税理士が、被告人に、「署長を入れて会食しよう」と言い、その設定をしてくれたため、そのころ、被告人は、自己の負担で、大野税理士を交えて浦和税務署長夫妻と夕食を共にした。
その際に同税務署長あるいは大野税理士から、コサカを入れた本件土地の売買の関係について、具体的な話はなかったものの、被告人は、右の経過から、同税務署長においても本件取引方法を合法と認めたものと理解した(以上は控訴審において立証予定)。
四 一方、その間、浅沼側は、被告人の前記依頼に応じて、被告人に幾つかの大手業者を紹介し、五九年一〇月ころには一旦興和不動産外との共同事業の話がまとまりかけ、そのこととの関連で被告人と浅沼との間に同共同事業における被告人の取り分を被告人の提供する土地の時価に従って一一億円とすることなどを内容とする同月二五日付の基本協定書が取り交わされるなどしたが、最終的には、興和不動産外との共同事業の件は不調に終わったため、次いで浅沼側は、六二年に入って間もなくしたころ、大京観光株式会社(以下「大京」という)にその件を持ち込んだ。
それに対し、大京側は、無名の不動産業者である被告人との共同事業並びに取引を嫌い、大京の単独事業として本件土地にマンションを建築して、これを販売することを希望し、浅沼側に対し、「浅沼において、被告人から本件土地を取得し、これを大京に譲渡することを条件としてマンションの建築を浅沼に発注する」旨を回答した。
そこで、森において、被告人に対し、大京の右意向を伝えたところ、被告人は、前記のとおり、当時既に、本件取引方法が税法違反にはならないものと認識していたが、なるべくなら被告人も共同事業主になりたいと希望していたことから、森に「大京との話を進めてもらいたいが、さらに同社と、被告人との共同事業にしてくれるように交渉してもらいたい」旨を依頼したので、森は、その後も数回にわたって、大京側と交渉を重ね、被告人の希望を同社に伝えた。
しかし、大京側が、前記回答に固執したため、森は、建築工事受注の都合から、被告人に対し、本件土地を浅沼に売却することをを求めた。
その結果、被告人は、森に対し、本件取引方法について「税理士から『税法上の問題はない』との回答を得ている」旨を説明した上、本件取引方法を条件として同売却を承知し、森においても、本件取引方法、すなわち被告人が本件土地をコサカに譲渡し、これをコサカが浅沼に譲渡することを了解した。
以上の経過により、被告人と浅沼との間で六〇年二月二八日付協定書が取り交わされ、その後、六一年中に本件取引方法が実行された。
なお、同協定書第2条の3には本件取引方法が明記されたが、同記述は、被告人において、本件取引方法が税法違反にならないと信じていたため、「同協定書中に本件取引方法のことを明記しておけば、将来、税務署の調査があっても、税務署が合法と認めている本件取引方法によったことを説明する際の資料となる」と考えた結果であった(以上、第一審公判記録中の森の六二年一二月付質問顛末書等・さらに控訴審において立証予定)。
五 また、本件取引方法が実行されるについては、小坂及び穐山もあらかじめそのことを承知していたのは勿論、そのことを積極的に希望していたものである。
すなわち、小坂は、被告人に、島田ともども浅沼の関係者を紹介し、これによって、被告人と浅沼の間で本件土地の売却に関する話が進行し始めるや、小坂と穐山は、被告人がコサカを同取引の当事者に加え、同社に利益を生じさせ、同利益によって同社の被告人関係貸付を返済できるようにしてくれることを希望し、穐山が、被告人にそのことを頼み、被告人においても、本件取引方法を検討するに当たり、小坂に対して、この方法を説明し、コサカの希望に沿う取引をすることを明らかにした。
さらに、六一年に本件土地が、本件取引方法により、コサカが中間当事者となる形で浅沼に売却された際には、小坂及び穐山はコサカの当事者として、コサカを買主あるいは売主とした各契約書の作成に関与し、また、コサカ名義の一連の領収証の発行にも関与したものである。
なお、本件において、浅沼が取得した土地は、本件土地にその他道路用地などを加えた約九一〇六平方メートルで、取得価格は一一億二六五〇万六三〇〇円であるところ、コサカを経由したのはそのうちの本件土地約八四九七平方メートルで、価格は一〇億四七七三万九七〇〇円であって、その余は被告人と浅沼との直接売買により譲渡されたものである。
また、本件土地の被告人とコサカ間の譲渡価格は、五億四八三二万三一八〇円であって、結局、コサカに生じた売買差益は四億九九四一万六五二〇円であった。
本件土地の被告人とコサカ間の右譲渡価格については、被告人において当初その取得価格の概算額と考えていた約三億円にすることを企図していたが、上田から「余り低廉にすると、税務署から時価の一〇億円に更正されるので、五億円以上にしなければいけない」との指導を受けたため右価格に決めたものである。
さらに、コサカを入れた本件取引方法を、浅沼との土地取引のすべてに取り入れることをせず、一部については被告人と浅沼との直接売買にしたのは、本件取引方法によってコサカに生ずる差益を、被告人関係貸付の返済に必要な範囲内に限るためであった(以上は、第一審公判記録中の小坂の六二年一二月八日付質問顛末書、六三年一〇月二四日付検面調書、穐山の六二年一二月八日付、六三年八月一〇日付、同年九月二二日付各質問顛末書、同年一〇月二六日付検面調書等・さらに控訴審において立証予定)。
六 本件土地が本件取引方法により浅沼に売却された結果、コサカに右のとおりの売買差益が発生したため、穐山は、同差益分を被告人関係貸付の返済として各関係者の銀行口座に送金するなどするとともに、コサカの経理上もそのとおりの処理をした。
また、被告人においても、経理担当者の宍戸功一(以下「宍戸」という)に対し、右送金については被告人関係貸付の返済に当てることを指示したが、宍戸の考えにより、その関係の正式な経理処理は、六二年分として、同年度中に行うことにしたが、同年一二月に国税局の査察が入ったため、結局、同処理は終了しないままに終わったものである。
ちなみに、右のとおりの被告人関係貸付の返済については、被告人、小坂、穐山らの関係者一同の真意に沿った実質的なものであって、現にそのとおりの経理処理が行われており、そのため当然のことながら同返済にかかる貸付が実際にはその後も存在することを示す書類等は一切存在しない上、明示あるいは暗黙を問わず、被告人や小坂ら関係者の間で、「同返済が仮装であり、実際には同貸付けがその後も存在する」旨の合意等は一切存在しない(以上は、第一審公判記録中の宍戸の六三年一〇月二〇日付検面調書、橋場正芳作成の六三年九月一六日付「決済に関する公表仕訳調査書」等・さらに控訴審において立証予定)。
第二 本件脱税の手段は、悪質なものではなく、むしろ構成要件該当性を認める上での限界事例ともいうべき極めて違法性の低いものであった。
一 土地譲渡による所得をいわゆるダミー法人等の利用によってほ脱したと認定し得る場合の要件について
土地譲渡による所得をいわゆるダミー法人等の利用にによってほ脱したものと認定した裁判例としては
<1> 四三年五月二七日大阪地裁・四〇年(行ウ)一〇九号
<2> 四八年六月一二日東京地裁・四三年(行ウ)一七九号
<3> 四九年五月三一日富山地裁・四一年(行ウ)七号
<4> 五五年七月一一日大阪地裁・五二年(行ウ)一〇七号
<5> 五七年三月一〇日大阪地裁・五三年(行ウ)五二号
<6> 五八年五月一五日名古屋地裁・五四年(行ウ)四号
<7> 五八年九月一六日京都地裁・五二年(行ウ)一五号
<8> 五八年一〇月二八日福岡地裁・五六年(行ウ)二二号
<9> 五九年三月一五日東京地裁・四七年(特わ)二二〇九号
<10> 五九年四月二七日徳島地裁・五一年(行ウ)八号
<11> 六〇年一月二八日東京地裁・五七年(行ウ)一〇六号
(以下、右各裁判例を<1>ないし<11>の番号によって示す)
等が挙げられるところ、これら裁判例において、「当該土地取引の中間に入った会社等(以下「中間会社」あるいは「中間会社等」という)はダミーであり、当該土地の最終譲受人(以下「最終譲受人」という)に対する真実の譲渡人は当該土地を中間会社等に譲渡したことになっている当初の譲渡人(以下「当初譲渡人」という)であり、当該土地取引による所得は、中間会社等ではなく、当初譲渡人に帰属する」と認定した理由は区々であるが、その理由を整理し、以下、本件の場合と対比する。
1 当初譲渡人が、脱税利用目的で中間会社を設立したものであったり、同目的のもとに事業等の活動を全く行っていない休眠会社を買い取って中間会社にしたなど中間会社等に土地取引の当事者たり得る実体がなく、また、当初譲渡人と中間会社が実質的に一体と認められる場合(中間会社の実態、当初譲渡人と中間会社の関係・<1>、<3>、<4>、<5>、<9>)。
これに対し、本件における中間会社であるコサカは、被告人とは全く無関係に設立された会社で、その後、経営不振により、被告人において、資金的な援助をしたり、被告人所有の草野ビルの一部をコサカの事務所として提供するなどし、また、五七年五月に同社の取締役に就任したことはあるが、その約四か月後には同取締役を辞任してその後は役員に就任したことはない上、被告人が同社に出資したこともなく、結局、本件当時を含め、終始、コサカは、法律上はもとより、実質的に見ても、被告人とは独立した会社であって、逆に被告人の立場から見れば、単に同社の大口債権者に過ぎなかったものである。
ちなみに、本件当時、被告人がコサカの印鑑類を管理していたのは事実であり、弁護人は、被告人と同社との間に結び付きがなかったと強弁するものではないが、その事実も、結局は、大口債権者としての行動であり、結論として、被告人と同社が実質的に一体であると見ることはできない。
次に、本件当時のコサカの実態であるが、本件当時すなわち六一年当時のコサカについては、同年五月の期末決算において、本件土地取引の関係を除いても、リース契約の継続による売上自体はわずか二六万八〇〇〇円に過ぎないとはいえ、受取家賃等の雑収入が六八七万五三八九円に上るほか、役員報酬、ファックスのレンタル料、社会保険料等の約一〇〇〇万円の経費を支払い、さらに資産や負債の面を見ても、リース関係の棚卸資産が二五二四万三六五四円、金融機関の担保に入っているとはいえ固定資産が一億一三四一万八八五〇円、草野関係貸付けの関係並びに銀行等の金融機関からの借入金が六億三六七一万三五七七円に上っており、以上の決算に基づいて税申告も行っているものであって(以上は控訴審において立証予定)、コサカが本件当時も企業としての実体を有し、企業としての活動をしていたことは明白である。
従って、本件については、右各裁判例が、中間会社等をいわゆるダミーと認定するに当たり、当該中間会社等に実体がなく、また、当初譲渡人と一体であることを理由とした場合とは全く異なる事案であることが明らかである。
2 当該土地取引の交渉を当初譲渡人と最終譲受人が直接行っている一方、中間会社等にあっては、同交渉あるいはその結果としての契約書の作成に全く関与していない場合(中間会社等の当該土地取引への関与の程度・<3>、<5>、<6>、<7>、<9>、<10>、<11>)。
この点について見ると、本件においては、当初譲渡人たる被告人が最終譲受人たる浅沼と直接交渉に当たっておりその限りではコサカ側に本件土地取引の当事者としての表面的な行動が認められないのは事実である。
しかし、検察官が、第一審公判において立証せんとしたような、「コサカ側が本件土地取引と全く関係が無く、被告人において強引にコサカの名義を利用し、同社を中間会社にした」というのは、およそ事実と異なっている。
すなわち、前記第一の二、五記載のとおり、本件土地取引については、最初に小坂が浅沼等の関係者を被告人に紹介したという経過がある上、小坂及び穐山において当初からコサカが中間会社となった取引をすることを望み、実際に被告人に対して、そのことを依頼して事実が存するのである。
契約書の作成に当たっては、被告人が小坂の意を受けてコサカの行為を代行したに過ぎない。
3 合理的理由がないのに、当初譲渡人と中間会社等の間の当該土地代金が時価の三分の一程度と著しく低額である場合(当初譲渡人と中間会社等の間の取引価格・<2>、<4>、<7>)。
前記第一の五記載のとおり、本件における、コサカと浅沼間の取引価格が一〇億四七七三万九七〇〇円であるのに対し、被告人とコサカ間の取引価格は五億四八三二万三一八〇円で右の五二パーセントに当たる。
同比率についても、右各裁判例における場合と比べて、必ずしも著しく低廉とは認められず、むしろ注目すべきは、被告人が、本件関連のすべての土地についてコサカを中間会社としたわけではなく、被告人関係貸付を返済させる範囲内に限って、同社を中間会社とした点である。
すなわち、被告人は、本件関連のすべての土地についてコサカを中間会社にすれば、それだけより多くの税を免れられたにもかかわらず、右のとおり、その範囲を限定したものであって、この点も酌量されてしかるべきである。
4 当初譲渡人が、最終譲受人の関係を含む当該土地取引全体についての仲介料等を負担している場合(仲介料等の支払関係・<8>、<11>)。
本件土地取引における仲介料等の扱いについては、仲介に当たった島田らに対し、いずれもコサカから、六〇年一二月二五日に五〇〇万円が、六一年七月二二日に一〇〇万円が支払われている(以上は、控訴審において立証予定)。
5 当初譲渡人が最終譲受人から当該土地代金を直接受け取っているなど、当該土地取引による利益が当初譲渡人に帰属し、中間会社等には同利益が帰属していない場合(当該土地取引による利益の帰属・<1>ないし<11>)。
多言を要するまでもなく、所得税等の課税の対象を決するものは、当該利益が帰属した先がいずれであるか、という点であり、従って、本件においても、中間会社であるコサカに本件土地取引による差益が帰属したか否かが、被告人に所得税法違反の刑責を問う上で極めて重要である。
そこで、その点について見ると、前記第一の五、六記載のとおり、本件においてコサカに生じた差益については、いずれも被告人関係貸付の返済(以下「本件返済」という)に当てられており、もし、同返済が真実であれば、コサカは、本件土地取引によって同差益を得るとともに、これを右返済に当てることによってその分の債務が減じ、まさしく本件土地取引による利益がコサカに帰属したことになる。
そのため、検察官は、第一審公判の立証において、被告人、小坂、穐山、宍戸ら本件関係者の捜査段階における供述を証拠(これら供述に信用性がないことは、後記のとおりである)として、本件返済は仮装であることを強調しているのであるが、前記第一の六記載のとおり、同返済が真実であることは、明らかであり、この点についての検察官の立論には無理があると言わざるを得ない。
(以上1ないし5については、控訴審において立証予定)
二 本件捜査段階における被告人、小坂、穐山、宍戸の各供述について
本件捜査段階における被告人らの供述は、いずれも「本件返済は仮装であって、実際はその後も同貸付は存続し、将来コサカにおいて返済しなければならないものであった」となっており、被告人は、第一審公判においても、その点を争っていないのであるが、同供述は、被告人・コサカ双方の経理処理など前記第一の六記載のとおりの客観的事実に反するものである上、捜査段階において右各供述のとおりの質問顛末書並びに検面調書が作成されるについては、以下の事情が存するのである。
1 被告人について
被告人は、国税局の査察開始当初は、大野税理士らに相談した経過等を前提として、「本件土地取引は税法に違反していない」旨を主張するとともに、「本件返済は真実である」旨を供述したのであるが、査察官において、質問顛末書に「本件返済が仮装であり、本件土地取引は脱税の手段にほかならない」旨を記載した上、「これに署名してもらわないと、上司との関係で、こちらの立場がない」などと申し向けて被告人に署名押印を迫り、また、「国税に協力しなかったために実刑になったものがいる」、「協力してくれれば、重い刑にはしない」、「検事にも刑務所に入らなくてすむようによく言ってやる」などと言ったため、被告人は、右をはじめとする一連の質問顛末書に署名押印をしたものである。
それでも、被告人は、検察庁において、検察官に対し、改めて、「本件返済は真実である」等の供述を行おうとしたのであるが、ここでも、検事から「あんまり突っ張るとこちらの印象が悪くなるよ。調書は国税のときと同じでいいでしょ」、「ブタ箱に入れるようにはしないから」などと言われた結果、被告人は、事業を営むものの常として「事業に専念するためには、どうせ執行猶予になるなら本件捜査や裁判がなるべく早く終わった方がいい」と考え、結局、検察庁においても、査察官作成の質問顛末書と同旨の調書に署名押印し、第一審公判においても、検察官らの言葉を信じて、右の点を争わずにいたものである。
2 小坂、穐山、宍戸について
右三名についても、被告人の場合と同様であり、小坂については、検察官に対し、その取調べ当時の現状の説明として「被告人に草栄の債務を早期に返済したいと思っている」旨供述したところ、それをコサカのこととして「未だに被告人関係貸付けは存在しており、いずれ返さなければならない」旨の調書を作成され、穐山や宍戸についても、「本件返済は真実である」旨の主張に対し、検察官から「そうではないだろう」と執拗に誘導され、やむなく検察官主張に沿った調書の署名押印に応じたものである。
(以上については、控訴審において立証予定)
三 結論
以上のとおりであるから、弁護人としては、本件について、所得税法違反の成立自体を争う余地があるものと思料するものの、被告人の「脱税にはならないという税理士らの言葉を信じたのは事実であるが、一方、本件において、『なるべく税金を払わずにすむのならば、それに越したことはない』と考えて本件取引方法を実行したのも事実であるから、第一審判決の有罪の認定自体は甘受するが、当時の自己の認識や経過についてだけは真実のことを理解してもらいたい」旨の意向を尊重し、以上の経過については、情状に関する主張に止めるものであるが、同経過等は被告人の量刑を決するに当たって十二分に考慮されるべきものと思料する。
第三 本件において、被告人は、本件取引方法が所得税法に違反しないものと信じていたものである上、そのように信じてもやむを得ない事情も存したものであって、本件は、犯意及び違法性の意識の希薄な、犯情において悪質性の欠けた事案である。
一 被告人が、大野税理士らとの相談の結果として、本件取引方法が所得税法違反にならないと信じていた経過等は前記第一の三、四記載のとおりであるが、そのことは、本件査察に対する被告人の対応によっても明らかである。
1 本件査察開始時の本件関係書類の所在について
被告人は、本件取引方法が所得税法に違反しないものと信じていたため、国税局による査察を全く予想せず、浅沼との各種協定書等の本件関係書類も隠匿せず、通常の書類と同様に公然と保管していたものであって、そのことは、本件査察時の草野ビルの捜索において、右関係書類が被告人の机等から容易に発見押収されていることからも明らかである。
2 本件査察開始後の関係者への対応について
被告人は、右同様の理由により、本件査察開始後も、同査察が開始された理由が全く理解し得ず、「事情を明らかにすれば、国税局においても、本件が所得税法に違反しないことを理解する筈である」と考えていたため、小坂、穐山、宍戸ら関係者一同に対しても一切働き掛けをせず、例えば、本件当時に被告人関係の経理を担当し、その後、退職していた大柳晴子にあっては、本件査察開始の事実を知らず、査察官が事情聴取のため自宅を訪ねてきたことによって、初めて同事実を知ったことから、急遽、被告人に電話をし、事情を聞いたのに対し、被告人は「俺にも事情が分からない」と応答し、さらに大柳が「査察官にはどのように話せばいいのか」と聞いたところ、被告人は「ありのままに言えばいいよ」と答えているのであって、その一事をもってしても、被告人が、本件のことを所得税法に違反しないものと信じていたことは明らかである。
(以上は控訴審において立証予定)
二 捜査段階における上田、並びに大野税理士らの各供述について
捜査段階において、上田は、本件につき、「本件取引方法については、被告人が一方的に言い出したものである上、当方が、それに対し、『同方法は所得税法に違反し脱税になるからいけない』旨述べたにもかかわらず、被告人が同方法を強行した」旨供述し、大野税理士にあっても、「本件当時は、普段ほとんど被告人のもとには行っておらず、上田からも、『被告人がコサカを使って不正を画策している』という程度のことしか聞いていなかったところ、決算の段階で被告人から、本件関連の経理処理を頼まれ、言われるままに決算処理した」旨供述している。しかし、右各供述が極めて不合理であって、およそ信用するに足りないことは以下のとおりである。
1 上田らの供述について
前記第一の三記載のとおり、上田は、本件当時、本件取引方法について被告人に説明をするに当たって、五九年五月一五日付と同年一〇月四日付の各メモ(同メモについては上田の捜査段階における検面調書にその写しが添付されている。以下、五九年五月一五日付メモのことを「五月メモ」といい、同年一〇月四日付メモのことを「一〇月メモ」という)を作成し、これを被告人に示しているのであるが、五月メモの内容を見ると、最初に同族会社の行為否認に関する簡単な説明が記載され、次いで本件土地を他に売却するにつき中間会社をコサカにする場合と草栄にする場合とが分けて図示された上、同図に関連して「コサカは問題ないが草栄を通すと微妙に同族会社の行為否認に触れる可能性がある」旨の記載があり、さらにその後に贈与等の場合の譲渡所得の特例並びに実質課税についての説明に関する記載があるとともに、「所感及び結論」あるいは「所感」と題して「簿価三億円をコサカを通じて一〇億円で売る場合、草野謙治はコサカに五億円以上で売らないと、売却価格を一〇億円に更正される。金銭の授受を行わないと実質課税の原則に触れる」「金銭を通す場合、草野謙治がコサカの金融機関からの個人保証をする場合問題となる」と記載されているのである。
一〇月メモについて見ても、同メモには、売買に限らず、本件土地を事業化する場合にコサカを入れる方法を検討した結果等が記載されているところ、その中でも、本件取引方法についての「上田意見」として、「従来の通り(5/15説明)の意見」と記載されているのである。
これに対し、上田は、検面調書において、同各メモにつき、「これは本件取引方法が同族会社の行為否認あるいは実質課税の原則に触れることを説明するためのものである」旨供述しているが、同供述は同各メモの内容と矛盾しており、余りにも不自然、不合理であって措信し得ないことが明らかである。
同各メモは、その内容からして上田が被告人に対して本件取引方法が所得税法に違反しないことを説明するためのものとしか考えられないものであり、その反面として、上田が本件当時に被告人に対し本件取引方法の違法を説いたことなどはおよそあり得ないことが明らかである。
なお、上田は、六〇年三月に大野税理士事務所を退職しているのであるが、その際、後任の八木沼貞剛(以下「八木沼」という)に対する引き継ぎのために、同年三月二五日付のメモ(以下「三月メモ」という)を作成したとして、本件査察当時に国税局に対して同メモを提出しており、上田の検面調書に同メモの写しが添付されているところ、その内容は、ある程度、上田の捜査段階における供述に沿うものの、同内容は余りにも五月メモ並びに一〇月メモの各内容と喰い違っていること及び後記のとおりの大野税理士の供述の不合理性等からみて、この三月メモについては、本件査察の開始後に大野税理士の立場を守るべく日付をさかのぼらせて作為的に作成された可能性が疑われ、また、仮にそうでないとしても、上田が、本件当時、被告人に対し、五月メモのとおりの説明をしたところ、その後、同説明に自信を失ったものの、いまさら顧客である被告人に対して、異なった説明をする訳にはいかないため、将来の自己並びに大野税理士の保身のため、八木沼に対する引き継ぎの機会に、内容虚偽の三月メモを作成しておいたとしか考えられないものである。
ちなみに、八木沼についても、六二年一〇月一九日付で「上田浩一郎(前担当者)氏六〇・四・八より業務引継後の感想」と題するメモを作成したとして、これを本件査察開始後に国税局に提出し、同人の検面調書に同メモの写しが添付されているところ、同メモには、要旨「被告人については上田から引き継ぎを受けたとおりの問題があり、将来は顧問契約を破棄するのが相当である」旨が記載されているのであるが、六二年一二月八日の本件査察開始に先立つこと二か月足らずという時期に、顧客についてのこのようなメモを作成するというのは余りにも唐突であると同時に、ある意味ではタイミングがよすぎるものであって、結局、同メモについても、本件査察開始後に自己ひいては大野税理士の保身のために日付をさかのぼらせて作為的に作成したか、大野税理士側において六二年一〇月当時に何らかの方法で本件査察の可能性を察知し、右と同様の理由でやはり作為的に作成したかのいずれかであることは明らかである。
2 大野税理士の供述について
大野税理士の捜査段階における供述は、前記のとおりであって、要するの、その意味するところは「本件当時は被告人との間に普段の接触がなく、事情が分からないまま、被告人の言うとおりにその関係の決算処理をした」というものであって、本件についての無知を主張している訳であるが、真実は、本件当時、大野税理士は、月に数回は草栄ビルを訪れ、被告人と話し合いをしていたもので(以上は控訴審において立証予定)、大野税理士の右供述については、その前提において明らかな虚偽があると言わなければならない。
また、その点を置いても、上田の作成した三月メモあるいは八木沼の作成した前記メモが仮に真実であるとすれば、当然、同人らが大野税理士に対し、事の経過を詳細に報告している筈であり、逆に、「事情が分からないままに被告人関係の決算処理をした」ということもあり得ないこととなるのである。
従って、大野税理士は、本件当時、上田ともども被告人に対し、本件取引方法が税法に違反しない旨を説明したものの、その後、本件査察が開始され、その結果、「右説明の事実が明らかになると、自己の税理士資格に影響が及ぶもの」と危惧したため、右のとおりの虚偽の供述をするに至ったことは明らかである。
三 被告人の捜査段階並びに第一審公判における各供述では、大野税理士側との相談等の結果並びに税務署の了解も得られたとの認識を前提として本件取引方法を実行した経過が述べられていない事情について
被告人の捜査段階並びに第一審公判における各供述では、右経過が述べられていないのであるが、それは、前記第二の二の1記載の事情と同様であって、被告人は、査察当初、査察官に対し、本件取引方法を実行するについての右経過を説明し、「税務署にも聞いてやったことであり、調べてもらえばわかる」などと主張した。
これに対し、査察官は、同主張が出た時点でその日の取り調べを中断したが、翌日になると、被告人に対し、「税務署の人が考えても、国税の方で多くの人が考えて『これはダミーだ』ということになると、ダミーではないという主張はだめなんだよ。それに、お宅がそおいう主張をしていると、お宅の方で今までお願いしてきた税理士さんに迷惑がかかるよ。税理士が入ってやったということになると、税理士さんの免許にかかわる。どうせ通らない主張なんだから草野さんがかぶったらどうだ。悪いようにはしないから」と述べ、それを聞いて、被告人も、大野税理士との顧問契約は一〇年以上に及んでおり、当時はその後も同契約を継続するつもりであったので「本件当時、いくら本件取引方法が脱税にならないと信じていても、国税局の人が同方法を脱税と決めれば駄目だということだし、大野税理士との付き合いは長く、これからも経理を頼むのだから、もう大野税理士や上田らのことを言うのはやめておこう」と考え、また、査察官の「悪いようにしない」という言葉並びに右の関係以外でも、前記第二の二の1記載のとおり、査察官から「協力してくれれば、刑務所に入らなくてもすむように検事に言っておく」などと言われていたことあって、執行猶予になるものと信じ、以後の捜査、公判を通じて、大野税理士側との前記経過に関する主張を差し控えたものである(以上は、控訴審において立証予定)。
なお、右の事情は、第一審公判記録中の被告人の質問顛末書、検面調書の内容からも窺われるところである。
すなわち、知能犯の中でも特に専門的知識を要する脱税事犯の捜査にあっては、当該被疑者が当該脱税手段を考えついた経過、犯行後に税務署や国税局から同脱税を見破られないようにするために施した工作の内容及び当時の心境等を明らかにする必要があり、具体的には、当該被疑者が犯行を否認していない限り、それらの諸点について詳細な被疑者調書を録取するのが常識である。
特に本件の場合は、被告人が税務に明るいとは認められないのに、赤字のダミーを利用しての脱税というこの種事犯の中でも比較的高度な手段が取られたとされていた上、調書上で見るとおり、被告人が素直に犯行を認めていたということであるなら、右諸点が録取されていないことは不可解と言うほかはなく、結局、その理由については、前記のとおり、取調官において、被告人が、本件当時、大野税理士らから本件取引方法は脱税にならないと言われていた事情を承知していたにもかかわらず、そのことを無視して調書を録取した結果であることは明らかである。
第四 被告人の現状について
被告人の本件動機は、前記第一の三記載のとおり、コサカに対する多額の貸付が焦げ付き、その返済を受けるためにやむなく本件取引方法を実行したというもので、従って、ほ税所得はすべて同貸付に起因する被告人関係の銀行からの借入れの返済に当てられ、ほ脱による資金の蓄積がないため、被告人は、本件の本税、重加算税、延滞税を銀行借入れによって納付したという、まことに同情すべき事情が認められるのであるが、さらに被告人の現状を見ると、被告人は、国税局の結論に応じた被告人関係の経理処理並びに税申告の各修正をした結果、コサカに対する約五億円という巨額の被告人関係貸付は未だに焦げ付いたまま存在している形となっている上、コサカ救済のために設立した草栄も著しい経営不振で、結局、これまでに被告人個人並びに工務店が同社に貸付けるなどした債権のうち約六億円を破棄せざるを得ない現状にある(以上は控訴審において立証予定)。
何らかの犯行を犯したものが、その結果として、悲惨な状況に陥ること自体は、自業自得とも言うべきところ、その場合であっても、当該犯行を犯したものについて、事実上の社会的制裁を受けたことを理由として、当該事情を斟酌した量刑が行われることがあるのに対し、本件の場合は、犯行の動機自体が極めて同情すべきものであった上、被告人の右のとおり現状は、犯行の結果というよりも、動機の悲惨さが現在に至るまで継続し、さらに悲惨さが増しているということであるから、被告人の右事情は通常の場合よりもさらに重く酌量されてしかるべきである。
第五 結論
以上のほか、被告人については、平成元年六月三〇日付控訴趣意書記載のとおり、反省の情が極めて顕著であること、再犯のおそれがないこと、被告人を実刑に処した場合には、その周囲に多大の悪影響を及ぼさざるを得ないこと等の情状が存するのである。
ところで、さらに一般刑政の観点からも本件を検討すると、脱税事案の一般的量刑については、ほ脱税額が三億円を越えた場合には実刑となり、これが三億円に満たない場合には執行猶予が付せられるという傾向が窺われるのである。
脱税事案の犯罪としての性格並びに刑事裁判の持つ一般予防という役割を考えると、実刑か執行猶予かの判断の基準が、ある程度ほ脱税額の金額にかかるのは必ずしも不当なことではない。
しかし、言うまでもなく、刑事裁判においける量刑は、最終的にはあくまで当該事案の固有の事情を十分に勘案し、個別に決するべきものであるところ、本件は、ほ脱税額が三億円を越えるものの、同種事犯によく見られるように、余裕資金の蓄積や贅沢あるいは遊興のための資金欲しさの犯行でもなければ、ほ脱所得を裏金として留保したもでのもない上、やむを得ない理由により違法性の意識が欠けたまま本件を実行したという特段の事情が存し、さらに現状においても悲惨な実情にあるなど、そのほ脱税額では量ることのできない特種な情状が多々存するのであって、本件において被告人を執行猶予に付しても、刑事裁判における一般予防の作用を損なうおそれは全くないと言い得ると同時に、むしろ、被告人を実刑に処することは公平に反するものと思料されるのである。
一方、原判決については、被告人において、捜査段階における取調官の言動を信じ切っていたため、第一審公判において既述のとおり諸情状に関する証拠が顕出されないままに審理を終了したという事情が存するのである。
以上のとおりであるから、原判決の量刑は、事実の実態を反映しないままに下された著しく重きに過ぎる不当なものであって、到底破棄を免れないものと思料する次第である。